EXCEEDの同人ソフト開発日記という名の備忘録

趣味のゲームソフト開発人。プロなのかアマなのかは不明(不定)らしい。

任天堂のソフトはいつも予定通りに出てこないって言われるけど、
ソフト作りっていうのは、そういうもの。
ゲームソフトは、期限までにやれと言われて、徹夜したり死に物狂いでやったからといって、
期待通りのものにはならない。そういうふうにすると、
結局、チームは妥協しなければならなくなる。
妥協させられて、できたものは、粗くなってしまう。
ユーザーは目が肥えていますから、受け付けてもらえない

山内 薄

ハイディフォス


HYper DEfending FOrce System


の頭文字をとって「ハイディフォス」。1989年にヘルツという会社からMSX2用ソフトとして発売された横スクロールシューティングゲーム私の人生に多大なる影響を及ぼしたビデオゲームのうちの1つ。

今回は、このゲームが(私にとって)いかに素晴らしいかを能書き垂れてみる。

まず、MSX2というハードはハードウェアでの横画面スクロール機能を有していない。故に当時のMSX2では滑らかな横画面スクロールを再現するのは不可能とされた。後にMSX2+という規格のマシンが登場し、ハードウェア横スクロール機能を実装するに至ったが、このゲームソフトはMSX2で見事な滑らか横スクロールを再現している。しかもそれだけではなく、自機の動きに合わせて上下スクロールもするのだが、ここにまたサプライズが存在する。画面を見るとわかるが、画面下の方にインジケータが表示されているが、このインジケータが常に背景より手前に固定されて表示されていた。当時を知らない諸兄は「そんなの当然だろう」と思うかもしれないが、これもまたMSX2は実質不可能な表現であったのだ。

結論からいうと、H-Sync と V-Sync を巧みに利用したギミックだったわけだ。実はMSXには「画面表示位置微調整機能」が存在するのだが、この機能を利用してスムーズスクロールを再現するわけだ。

昔のブラウン管テレビは、画面の端まで隅々表示することができず、苦肉の策としてMSX側で画面表示位置をドット単位で、上下左右最大±8ドットだけ動かせるハードウェア機能(ソフトウェアから制御可能)が実装されていた。つまり、この動作を逆手にとり、8ドット分画面位置を左にずらした後のV-BLANK中に画面全体を左に8ドット分ずらす書き換えして、次に画面右端にスクロールして現れる背景を描画し、動かした8ドット分右に画面位置を戻すということを繰り返している。しかし、どうしても、画面両端8ドット分がはみ出した状態が繰り返されるため、とても見栄えが悪い。そのため、よく見るとわかるが、画面両端8ドット分が黒(スプライト)でマスクされている。

次に、画面下のインジケータだが、これは H-Sync 割り込みを使用したギミックで、モニタ上の(テレビのブラウン管上の)リアルタイムの電子ビーム照射位置を検出して、未来に背景(ゲームのメイン画面)が書かれるはずの場所にインジケータを強引に表示してしまうことで、本来画面下部にまで表示されるはずである背景の描画を途中でキャンセルし、あたかも背景の上にインジケータがかぶさるような描画を再現しているのだ。しかも、このインジケータの部分は screen 5と呼ばれるビットマップ画面となっている。実はメインゲーム画面は頻繁に画面の全書き換えが必要となるため、CPUへの負担が少ない「タイルマップ」という画面モードを使用している。このモードは8×8ドットの四角を1回の処理で書き換えることができるためCPUへの負担を最小限に抑えることができる。反面、ビットマップモードは、1ドット単位の描画が可能で、きめ目細かな描画が可能であるが、1回の処理で1ドットしか更新できないため当然CPUへの負担量が大きい。ゆえに大量書き換えには向いていない。つまり、頻繁な大量書き換えが必要な部分はタイルマップを使い、描画更新が殆ど必要のないインジケータ画面を高画質モード(ビットマップ)で描画しておくという芸当(心配り)がなされているワケだ。

さらに付け加えると、エンディングのスタッフロールも見逃せない。黒バックに白文字が上にスクロールしていくという大変シンプルなものであったが、H-Sync を利用して、モニタの特定の走査線毎にパレットを切り替えることで、文字がだんだんと明るくなって現れ、そして、だんだんと暗くなって去っていくというさり気無い演出がエンディングを際立たせていた。


で、話をゲーム内容に戻すが、私は、このゲームの落ち着いた深い色使いとビジュアルシーンの原色を前面に出した配色が大好きだ。そしてゲームバランスも、易し過ぎず難し過ぎず絶妙であった。そして最後に特筆すべきは「サウンド」である。これは若き日の与猶啓至氏の作品で、ゲームのデザインに非常にマッチしたもので、当時カセットテープに録音して、通学電車内で毎日狂ったように聞いていた。今聞くと、当時の懐かしい思い出がつぎつぎに浮かんでくる本当に素晴らしいサウンドだ。後で気付いたのだが、学生当時の自分の「お気に入りサウンド」を集めたカセットテープには、無意識のうちに氏のサウンドで溢れ返っていた。(レナム、ピタパット、ニューラルギア、スタートレーダーX68等)もちろん、当時の私がそれらの曲の作曲者が与猶氏だったことは知る由もなかったわけだ。

まとめると、「技術力」「デザイン」「サウンド」どれを取っても私にとって至高な出来栄えの作品であり私に与えた影響は非常に大きかった。


そして、余談であるが、当時、中学生でロクなプログラミング知識も有していない私は、このゲームの滑らか横スクロールを再現してみようと必死にアセンブラを勉強したが、それはどうしても叶わなず、プロとのレベルの違いに愕然としたものだった。ある日、このゲームのアンケートはがきに、「自分は一生懸命アセンブラの勉強をしたが、このゲームの横スクロールをどうしても再現できなかった。」と書いてポストに投函したことがあった。すると、このヘルツという会社の「加藤健二郎さん」というデザイナーの方から直筆のイラスト入り年賀状が届いた。これは紛れもなく、私のために描いてくださったもので、私のアンケートはがきの内容に反映したイラストとなっていた。そして、この加藤さんからの年賀状はヘルツ社消滅まで続くこととなった。もちろんこの年賀状は今でも大切に保存している私の生涯の宝物である。最後に加藤さんから、「へルツ社の経営者が交代する関係上、社名も変わります。状況が落ち着いたら、また連絡します。」という旨の手紙をいただいたが、残念ながらその後、連絡が来ず、そのまま音信不通となってしまった。加藤さんは今、どこでどうなされているのだろうか・・・

また、このヘルツという会社は、私をX68000ユーザーにいざなうことにもなったのだが、これはまた別の機会にでも・・・。



気付いたら、私はゲームプログラマー。日々超過残業で凌ぎを削っているようだ・・・